郡山萌世 校長雑感

手話

本日の毎日新聞の一面に『会見に手話通訳拡大』という記事が出ていた。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、首長の記者会見に手話通訳を新たに導入する都道府県・市が増えているということであった。コロナ禍での情報を聴覚障害者に迅速に伝えようとするためであるが、収束後も継続していただきたいと感じた。東日本大震災でも問題となっていたが、障害者が災害弱者になってしまうケースが多い。弱者になる理由は様々あるが、情報が入手、伝達しにくいというのも、そのひとつである。

本校では、2年生、3年生が「手話」の講座をとることができる。このような特殊な科目を用意できるのも、単位制の高校である本校ならでは特徴であると考えている。では、なぜ「手話」の講座が開設されたのだろうか。生徒に社会貢献できる技能を身に付けさせてあげたいと思ったからではないかと考える。目指すべきは、豊かな社会であろう。その豊かな社会とは何か。経済が優先され、弱き立場の者が苦しむ社会ではないはずだ。豊かな社会とは、すべての人間が住みやすい社会であり、人間らしく生きられる社会だと思っている。

豊かな社会を創るために、日頃より生徒のイメージ力をより増大させたいと考えている。来年は、延期された東京オリンピックの開催となる。多くの外国人が来日することになる。来日した外国人が、郡山を散策するには何が必要かと想像してみる。多言語による地図づくりことも一つだろう。だが、ピクトグラムという発想はどうだろう。面白い。新たなピクトグラムをつくること自体がワクワクする。

以前、日本ボッチャ協会強化指導部長の村上光輝氏による講演を聞いたことがある。この講演の中で気になったことがあった。それは、障害者への接し方で、固定概念による配慮が迷惑になる場合も多々あるということだった。必要があれば助けを求めるので、すべての場面で車いすを押すことが親切になる訳ではないということである。このことは、国と国との交流に似ていると感じた。従来より、途上国への支援の仕方については議論が出ており、単にお金を与えたり、工場を作ったりすることではなく、人材の育成をすることが求められているといわれている。今何が必要なのかを相手の立場で考え、長期的な視野に立って支援をすることが必要なのではないかと考える。

豊かな社会を創るために、弱き立場だからこそ、一度躓いたからこそ、気付けるもの、できるものがあるのかもしれない。